
22歳の春、憧れだったアパレル商社に入社したナザレ。
とにかく毎日が刺激的で楽しくて仕方がない。
ナザレは休日でさえも、もったいなく感じ、出勤する日が待ち遠しくて、夢中で仕事を覚えた。
あの頃のナザレは、仕事も遊びも恋も無我夢中で全力投球、だから、毎日が満面の笑顔だった。
入社半年が経過した頃、同じチームの先輩達が寿退社していき、僅か入社半年のナザレが先輩達のポジションを得て更に忙しくなって行った。
大企業は働かなくても目立たないし、働かなければミスも起こらない。その上、給与も変わらない。
働かなくても給与が変わらない、でも、それは神様から与えられた貴重な時間を無駄にすることになることをナザレは知っていた。
だから、仕事が楽しくて仕方がなかったナザレは、稼働しない同期や先輩の分まで、率先して喜んで働いた。
でも、その分ナザレは人よりミスが多かった。
またしでかしたの~!?、と先輩が言う。
ミーテングの後、営業統括部長にミスを謝罪し落ち込むナザレに、「君は他の社員の10倍働いているから、稼働が多い分、他の社員よりミスが多いように見えるけど、君の稼働率から行くと逆にミスは少ないよ」と、部長の笑顔と励ましの言葉があった。
あの時の部長の言葉は今でも忘れられない言葉になった。
入社一年後には新入社員全体のナンバーワンになり3年後にはバイヤーの地位を得たナザレは、水を得た魚のようにミラノコレクションプレタポルテの華やかな世界に魅了され突進していった。
そして、時は既にバブル崩壊し数年が経過し、未曽有の不景気の時代になっていた。
コレクションでは1年半年後の先物取引のような多額の買い付けをする中で、商品が足らない時代から高額商品が売れない時代へと変化していた。
在庫の山と化していた会社の倉庫。
本社の倉庫だけでは足らず西宮の物流倉庫街にも新しい倉庫が増設された。
待っていてもお客様は来ない。
1年半前にオーダーした商品がどんどん不良在庫化していくのが忍びない。
ナザレは、在庫販売企画を上司に提案し、取引先のデパートの外商部にプレゼンをし、倉庫にある山のような在庫品をデパートの優良顧客にセール品として販売する企画を立てた。
それは、当然自らが大きなスーツケースを何個も運び外商員と一緒にお客様のお宅にお伺いし、販売すること、一流のお客様のお宅にお伺いして販売することが簡単ではないことも覚悟の上だった。
自らがオーダーした商品は何としても売り切りたいそして、お世話になった会社に貢献したい。
そんな願いがナザレの心を駆り立てた。
秋口から始めた外相お得意様訪問販売企画は、粉雪が舞う冬を越え、春まで続き、月に一店舗分の売上を獲得していった。
そして、ナザレ27歳の秋。
ナザレは、これ以上この会社で学ぶべきことと、するべきことはやりつくしたと時を知り、創業準備のために辞表を書いた。
しかし、ナザレが自ら作った特殊なポジションを後輩達に引き継ぐには1年が必要だった。
無事引継ぎを終えたナザレは28歳の夏に最初で最後のお勤めを退職し、当初の計画より2年早く起業した。
一時は無職になる、だから、ハローワークに行って失業手当を申請すれば受給できることも知っていた。
でも、申請するつもりは毛頭なかった。
ナザレはただただ、前を向いて歩きたかった。
創業地は京都。そして、世界へ、そんな天の声が聴こえ、ナザレは大好きな青春の街、神戸を去った。
それは、阪神淡路大震災の5か月前だった。