
5歳の少女だったナザレの世界は毎日がまんが日本昔話。
家族全員が経営者の旧家で育ったナザレの話し相手は、家族の中ではいちばん時間があったおばあちゃまでした。
少女ナザレは、毎朝、目覚めると、今日の出来事と訪問者がテレビを見ているように映像が出てくる。
朝早く両親が出勤していくと
今日の出来事と訪問者をおばあちゃまに
お話ししなくっちゃ。と早速リビングルーム行くナザレ。
おばあちゃまは、最初、「へぇ~、そうなの」と微笑みながらナザレの話を聞いてくれた。
それが、100%寸分の違いなく現実となっていく日々。
良いことも、よろしくない出来事も。
今日の夕方、親戚の〇〇おじさんが運転する車が交通事故に遭う、ガードレールを超えてすぐそこの川に落下してしまう。
ナザレはおばあちゃまに急いでその模様を説明する。
でも、おばあちゃまは困った顔で返事はない。
そして、夕方になり、○○おじさんが事故に遭い救急車で病院に搬送されたと知らせが入った。
漏れ聞こえてくる大人の話によると、朝ナザレが見た映像が起こっていた。
蔵に行けば、天狗や妖怪達が現れて遊んでくれる。
「ねぇ、おばあちゃま、今日ね、蔵の2階に青い天狗がいたのよ、それがね、絵本と同じで下駄の歯はひとつなの、でも一つの歯なのに上手に歩いていたのよ」。
おばあちゃまは深くため息をついて、「もういい加減にしなさい、これからはそのお話は一切してはいけません、他の人が聞いたら、あたなは頭がオカシイ子供だとおもわれるから」
ナザレはいち日の時間空間の中で、不思議な旅をしていて、でもそれは、みんなと話題として共有するとダメなことだと初めて知った瞬間だった。
今日の出来事は、ナザレがイメージするから起こるのか、起こることが見えるのか、ナザレは子供ながら、とても複雑な気持ちだった。
ナザレは、良くない出来事を言葉にすると、現実が確定するような気がして、今日の出来事の話をすることを封印した。
その後、しばらくして、UFOが現れるようになり、いろんなことを教えてくれるようになった。
UFOに言葉は無い。
あるのは波動のコミュニケーションと映像。
UFOは、様々な宇宙の仕組みと真髄を映像で見せてくれた。
ただひとつ「私たちは家族だよ」との声なき声がしっかりと聞こえ、
へぇー、家族かぁ、じゃあ、私の今の家族は本当の家族じゃないの?
一瞬そんな疑問が生まれたけど、子供のナザレにはわからないことなので、それ以上考えるのをやめることにした。
そして、当時、少女ナザレにただただ不思議な映像に見えていたことが、歳を重ねるにつれ、あの時の意味が腑に落ちていくことになる。
数十年が経過し、立命館大学のとある映像研究室で最先端のバーチャルリアリティの仕組みを見たとき、忘れかけていた当時の映像が蘇る。
それは、多額の研究費を投じ利益度外視で開発され誰しもが素晴らしいと絶賛する最先端のバーチャルリアリティの仕組みだった。
でも、事実は、かつてUFOが見せてくれたバーチャルリアリティの映像とはまだまだ全く比較にならない。
2024年は風の時代が本番を迎え、様々な常識が書換られていくでしょう。
だから、漸く、長い封印を解き、Nazarethの旅紀行として本ブログで公開してまいります。
プロローグは少女ナザレの未知への旅でした。