
高校生なったナザレが夢中になったものは当時全盛期だったディスコのDJ MIX Play。
それを聴くために週末にはいつもディスコにいた。
ナザレは、いつかカッコいいDJMIXを制作することを漠然と期限なしの課題にした。
そして、実家ではナザレにファッションや音楽で影響を与えた、5歳違いで6学年上の姉が神戸に嫁ぎ翌年には、明治生まれで長寿だった祖父母が天命を全うし他界した。
大家族だったナザレの実家は少し淋しくなってく中でナザレの進路を決めなければいけない時期が刻々と近づいてきている。
更に両親はナザレが姉と同じ地元の短大に行くことが当然だと思っていた。
ナザレの志望が言い出し辛い空気が漂う中で、勇気を出して、神戸の大学に進学し、家を出ることを切り出すものの、ナザレの想いはなかなか通じない。
しかし、両親は、ナザレが一度言い出したことはテコでも動かないことを充分に知っている。
両親と何度も話し合い、多忙な父へプレゼンの手紙を書き、家族会議が決裂寸前、滑り込みセーフで二次募集の三年制のファッションカレッジへの入学が許された。
それは、ファッションが大好きでアパレル輸入商社で働くことが夢だったナザレには最高の答えだった。
ナザレは初めての新居に西宮の閑静な住宅地、苦楽園に小さな1LDKのマンションを選び一人暮らしをスタートすることができた。
ナザレ18歳の春、ふるさとから旅立ちの時だった。
夢の生活が始まった一方で、ナザレは送り出してくれた両親に感謝が溢れると共に、自由な選択には自己責任が伴うことを受け止めていた。