潜在意識を起動させるとご先祖様が喜び、守護霊が応援してくれる

奇跡

時は華やかなバブル経済真っ只中、

ファッションビジネス専門学校の入学式を終えた

ナザレは、水を得た魚のように、大好きなアパレル

ブランドのブティックでアルバイトを始めた。

学校は予想以上に忙しく課題の日々で大学に行った

友人たちのほうがナザレより格段に時間があり、

現実はそう甘くは無かったが、

ナザレは今出来ることをする。

イタカジ、デザイナーズブランドを身に纏い、

平日の空き時間と週末はブティックでアルバイト、

夜はディスコでDJ達と音楽談義。

アルバイト先では同じ年と少し年上の友達がたくさん

でき、とにかくブティックのアルバイトが楽しくて

仕方がない。

刺激的な毎日の中で10年後の30歳までにインポート

アパレルのセレクトブティックを開店し起業すること

がナザレ目下の目標となった。

そして、月日が経過していく中で、どんどん学校から

遠ざかり二年生になるころにナザレは休学した。

あっという間に与えられた学生の時間が経過し、

年号が昭和から平成に代わり、大学に行った友人達が

就職活動を始めた。

そろそろ、ちゃんとしなくっちゃ。

輸入アパレル事業で起業するには、輸入のノウハウ

と海外との取引を学ぶ必要がある。

ナザレは、ただただその気持ち一心で就職活動を

始め、大中小の輸入商社3社の門をたたいた。

第一志望は、誰しもが憧れる三井物産系アパレル

商社、

第二希望は、大阪の船場の海外ブラド品全般を扱う

輸入品卸問屋。

第三志望は、エレガントなオリジナルハイブランドの

メーカー。

第二志望、第三志望と面接を受け数日後、早々と

好条件の内定書が届いた。

そして、最後に第一志望の入社面接会に行くと

本社に設けられた広い会場に面接の順番を待っている

人が軽く見積もっても数百人。。。

順番に呼ばれ、面接会場に入っていく学生達。

これは、かなり難易度が高い。

ナザレはダメ元、出たとこ勝負で挑戦しようと腹を

くくった。

ナザレの順番になり、面接室にはいると

挨拶、自己紹介と家族構成や履歴書の確認の後、

営業部長からの質問。

「なぜあなたは我が社を志望したのですか?」

「はい。私は30歳までにアパレル事業で起業します。

だから、業界最大手で憧れの御社で働きながら学せて

いただきたいと思っています。

私は採用していただけたら、御社で働く時間は

最長でも8年です。短い間かもしれませんが、

その分一生懸命に働くことをお約束します

とアドリブで答えたナザレ。

面接が終わり、1週間が経過したころ、

採用通知と新入社員オリエンテーションに出社する

ようにとの連絡が入った。

そして、入社を辞退した第二希望の輸入卸問屋の社長

から、更に条件を上げるから、ぜひ、うちの会社で

働かないかと、

何度も熱烈なスカウト電話をいただいた。

給与は数万円輸入問屋の方が多い、しかしナザレに

とって、給与より大企業で働き視野を広げ知識を得る

ことが最も重要だったので即答で丁重に辞退した。

大坂本社に入社したのは倍率30倍で僅か8名だった。

新入社員歓迎会の時、ナザレは宴会の勢いであの時の

部長に聞いてみた。

「部長、どうして私を採用してくださったのですか?」

と切り出したナザレに部長は

「いい質問だね。

君は他の学生と違って、仕事を覚えたら

すぐに実働部隊としてものになると思ったからだよ。

うちの会社は急成長しているから、人材不足なんだ

よ」と、笑顔で答えてくれた。

いずれにしても、学生時代に夢中で働いたアルバイト

が無意識にナザレのビジネススキルを上げ、

就職活動を大成功に導いた。

後にも先にもこれがナザレの人生で最後の入社面接に

なり、人生を変えたひとコマとなった。

それは、2024年の今だから、打算なく、無意識

つまり、潜在意識レベルでナザレの魂が追い求め喜ぶ

ことをシンプルに行っていた結果だといえる。

最新の記事ナザレの旅紀行記事一覧